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採用学を読んだ
Mar 6, 2018

採用学を読んだ。この本では、採用を定義した上で、現代の日本における採用事情の考察・最近の採用手法の変化・より良い採用のための考え方などが述べられており、一読すべき価値のある本だと思う。

この記事では、一応新卒採用を経験した身として、就活時に浮かんだいくつかの疑問を、採用学を読んで上で改めて考えていく。それが正解かどうかは分からない。書き終えてみると当たり前のことを言っているようにも見える。

新卒一括採用が一般的である理由

欧米では必要なときに必要な人材を雇用する「欠員補充」の採用が一般的なのに対し、なぜ日本ではある定められた時期に一斉に次の新社会人が就活をする「新卒一括採用」が一般的なのだろうか。

かつての国立大学は、就職先と密接に関係する、人材育成機関としての意味合い (たとえば旧帝国大学は官界へ、早慶ではビジネス方面へと輩出する) があった。コネクションに基づいた「推薦」による縁故採用 (現代の「学校推薦」とは異なる) であり、大学側と企業側のお互いの信頼関係による就職だったといえる。

定期一括採用が始まったのは今から100年ほど前の最近で、原因は経済成長と大正デモクラシーである、との引用があり、それまでは官界に行っていたような人たちも、銀行といった民間企業に就職し始めたのだという。

しかし「一括採用」の理由としては、本中の説明だけでは不十分に思える。Wikipedia の新卒一括採用のページが詳しかった。

1914年から第一次世界大戦が始まり日本は大戦景気に沸いたが、それによる人手不足から来る就職売り手市場によって学校卒業前に入社選考と採用を行う慣行が始まった[4]。 卒業前の採用慣行は第一次世界大戦後も続けられた。1927年には昭和金融恐慌と、それに続く世界恐慌から学生の就職難が社会問題となった(当時の映画「大学は出たけれど」も参照)。このような恐慌下で、1928年に三井三菱などの大手銀行を中心とする頭取重役の集まりである常盤会の意向により、大学および文部省に働きかけが行なわれ、翌年1929年の学生の定期採用は卒業後に行なうこととする協定が結ばれた[5][6]。就職協定の原型である。にもかかわらず、優秀な学生を確保したい企業による、学生の就職難への不安につけこんだ早期の選考は、この協定後も改まらなかった。その後景気が回復しても企業・学生双方による協定破りは絶えず、ついには1935年6月に三菱の提案で協定は正式に破棄されることとなった[7]。なお、今日まで使われる「内定」という言葉は、この協定によって使われるようになったのだと言われている[8]。つまりは、協定によって「採用決定」が卒業後ということに決められたため、在学中の事実上の採用決定を「内定」と呼ぶことになったのである。

第二次世界大戦終戦後も、大卒者の新卒一括採用の慣習は続いた。終戦直後の卒業生の就職は厳しかったようだが、翌年以降はそれほどでもなかったようである。敗戦という政治・経済状況に極限の変化を迫られる状況下においても、「卒業前の定期採用という慣行は、会社と大学にとってもはや変更不可能なまでに根づいていた[10]」のである。続いて起きた戦後復興と1950年に起きた朝鮮戦争は、日本国内に莫大な特需を生み出し、人手を必要とした企業は多くの新卒者を雇用した[11]。採用の早期化傾向に懸念を抱いた文部省は1953年6月に教育・財界関係者を集め懇談会を開き、「採用試験は10月中旬から1か月くらいとすること」を決定した。これが1996年まで続いた就職協定の始まりである[12]。しかし、就職協定は1996年の廃止に至るまで、ほぼ有名無実な協定であった。抜けがけ採用が発覚しても協定破り企業として新聞に公表されること以外にペナルティーがなく、企業側はマジメに就職協定を守っていては良い学生を採用することができなくなり、学生もそれに従わざるを得ないからである。特に1960年代からの高度経済成長期には更に採用が早期化し、大企業では卒業一年以上前の3年生の採用を決めるという事態にまで発展し、「青田買い」のみならず「早苗買い」「種もみ買い」とまで称されるほどになった[13]。以後も景気状況による変動はあるものの、基本的には在学中に採用が内定する状況は変化していない[14]。21世紀初頭現在においても状況はそれほど変わらず、大学生の就職活動は3年生の秋、9月から10月ごろに始まる。経団連の倫理憲章では、正式な内定日は10月1日[15]とされているが、内定の決定、いわゆる内々定は早ければ4年生になったばかりの春ごろから出され始める場合もある。

要約すると、20世紀の景気の変動と買い手市場によって、就職難の心理につけ込んだ、大学卒業前の優秀な学生の確保が加熱し、これを抑えるために文科省が採用試験の時期を線引した、ということになる。この歴史的経緯が現在でも普遍化しているのだろうが、そもそも大学を卒業したてで普通就労経験のない人間を採用する、「新卒採用」自体の目的はなんだろうか。

新卒採用の目的

就活時に考えていた、新卒採用 (ここでは特に初任給が一律のもの) の目的は、「近い将来成長の見込みがある人材を、手軽な賃金で雇い、会社の文化を十分に吸収させること」のように理解していた。新卒採用は、中途採用と比較して次の特徴があると考えていたからだ。

  • まだ芽が出ていない (が、近い将来芽が出る可能性がある)
  • (そのため) 給料を安くできる
  • 自社のカルチャーを馴染ませ易い

この考えは、本で述べられている採用の1つ目の目的、

(1) 企業の目標および経営戦略実現のため

に近い。もう1つの目標は、

(2) 組織や職場を活性化させる

であり、多様化によって組織が均一化・硬直化することを避けることと述べられている。この2つはあくまで「採用」の目的であり、新卒採用よりも中途採用、すなわち多企業で培われた業務能力・カルチャーを持つ人材のほうが目的を達成するのではないか。

一般的に考えて、優先すべき目的は (1) である。(1) の達成のために人材が大幅に足りない企業、例えば

  • 急激に成長している
  • 従業員数が多い (1000~) ため相対的に離職者も多い

は、(1) 達成の手段として新卒採用を用いることは合理的と言えそうだ。選考のプロセスで多様性を考慮できていれば同時に (2) の達成も見込まれる。次に、(2) 達成のために新卒採用をする企業は、

  • 創業年数が長く従業員数もそれなりに多い

などが挙げられそうだ。そのため、創業年数が短く従業員数も多くない中小企業 (ベンチャー企業?) が新卒採用を行うのには何か別の目的があると考えられる。

本中で述べられている一般的な新卒採用は、現時点での候補者の実務能力を測れないが故に、実務能力の期待を評価する。しかし、新卒の段階でも実務に直結する能力があれば新卒採用を行う理由として成立する。私が就職先として考えていた IT 業界 (いわゆる Web) では、PC を用いたプログラミングテストや面接でのコーディングが選考フローに組み込まれているのが普通だった。すなわちこの業界の新卒採用は、実務能力の期待しか測れない大部分の新卒採用と大きく体質が異なっている。

ということでなぜ一般的に、また Web の業界で新卒を採用するのか、という疑問は以上で説明できた。なお労働者を違法で酷使するといったいわゆるブラック企業はここでは考慮していない。

優秀とは何か

企業は優秀な学生を採用したい。優秀とは何だろうか。 自分自身の就活を通して、自分の優秀とされている能力を一部のフィードバックとして知ることができた。それは、

  • 論理的思考力
  • 物事に対する自身の考えがあるとともに、それを説明する能力

の2つだった。正直にいうと、同じ選考を受けた他人よりもこれらの能力が高いという自覚はなく、これらの能力は理系大学院生なら誰もが持っている能力なのではないか…と思っている。しかし、これは自分の周辺環境によるバイアスなのだということにしている。 何をもって「優秀」とするのかについて、尺度の設定と定量化は難しいだろうなと以前から考えていた。

先に述べた通り、私が志望していた業界の新卒採用は他の大部分のそれとは性質が異なっている。 大部分の新卒採用における選考とは、実務能力の期待を測定するものであり、

「コミュニケーション能力」「協調性」「主体性」「チャレンジ精神」「誠実性」「エネルギッシュである」

といった曖昧で多義的な基準が用いられている。本中では Bradford D. Smart の変動性による能力の分類解釈を挙げており、非常に変わりにくい「知性」「創造性」などに対して比較的変化しやすい「リスクに対する志向性」「コミュニケーション能力」などがあり、採用においては IQ などの変わりにくい能力を評価するべきという考えが示されている。

学歴フィルターへの批判

最近 (毎年繰り返している気がするが) 就活サイトの学歴フィルターが話題になっている。学歴フィルターという言葉自体が気持ちのいいものではないが、ここでは理解のしやすさのために用いる。

学歴フィルター自体の是非

学歴フィルター自体を悪とする人は、次の2つの立場があると考えている。

  1. 自らに学歴コンプレックスがある
  2. 学歴と優秀さに関係がないと思っている

ここでは後者を見ていく。近年では、就活総合サイトの登場と付随する新卒一括採用により、企業側が学生に期待する能力の曖昧化が起こっていることが述べられている。

企業が学歴フィルターを使う理由は次の2つが述べられている。

  1. 大前提として企業は候補者群が大きければ大きいほどそのうちに含まれる優秀な人の数が増えると考えている
  2. 期待する能力の曖昧化が進む一方で、学歴は境界線を引きやすく、選考の初期段階で企業が期待していない候補者を少ないコストで間引くことができる

上記に加えて、次のロジックが働いているのではないかと思う。

  • 企業側は、数年〜数十年の採用結果とその後の経過を見て、企業が求める人材を判断する評価値として学歴を用いることは十分効果的であると判断している

このロジックは複雑というわけではなく、すなわち学歴フィルターの存在自体は合理的だと言えそうだ。

見えざるフィルター

学歴フィルター最大の問題は、情報の非対称性にある。

リクルート社の創業者は、当時の新卒労働市場が地理や学歴といった様々な壁により分断され、その結果学生側と企業側に大きな情報のギャップを生んでいると考え、そのギャップを埋めるために創刊したものが「リクルートブック (企業への招待)」であり、現在では技術的延長線の「リクナビ」に 置き換わっている。

こうして生まれた就活情報サイトの問題を2つ指摘している。

  1. 就活情報サイトが日本での採用・就職情報の標準として定着した結果、採用担当の人脈や採用デザイン力の低下を招き、採用自体をアウトソーシングするという負の連鎖
  2. 実体としては学歴といったフィルターが存在するが、顕在化していないことからエントリー数はますます増加し、余計にフィルタリングの必要性を企業が再認識するという負の連鎖

最近見られるような、先輩のエントリー数 (架空?) に対して就活している学生のエントリー数が少ないと煽る就活サイトの文句は、学生側・企業側の両者に対して悪影響であることが明白である。本文中では「就活サイトの存在自体に悪はない」という立場をとっているが、これは現状を鑑みればそうとは言えない。「リクナビ」と「マイナビ」間の競争により、今後も学生・企業に悪い影響を及ぼしていくのだろう。


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